出典:王国サウジアラビア(The Kingdom)
サウジアラビの土地と人々(Land and People of Saudi Arabia)
写真・文: マイケル・R・ヘイワード(Michalel R. Hayward)
翻訳: ハウン トランスレーション サービス
出版: サウジアラビア国営石油会社(サウジ・アラムコ)
(Saudi Arabia Oil
Company, Saudi Aramco)
毎年4月になると、
ターイフ(Taif)周辺の高地(Uplands)では
約2,000の農場が一面ピンクにかわる
毎年、香りの強い華麗なピンクの花が咲く季節になると、アル・ハダ(al-Hada)(「静寂(Tranquility)」という意味)とアル・シャファ(al-Shafa)(「端(Edge)」という意味)の農村地帯はこの花だけで香り高いバラ色の別天地に変身する。この花は香油成分の豊富な花弁30枚のダマスクローズ(Rosa x Damascena
Trigintipetal)で、これまで300年にわたってこの地域で栽培・加工されてきた。加工後には高価なバラ油(Attar)、そして人気の高いバラ水(Rose Water)(バラ油以上に古い)ができる。
ターイフは気候がよく、近隣のジッダとメッカの暑さから逃れることができる高台の安息地(Highland Haven)である。サウジアラビアでも屈指の果樹園地帯であり、また避暑地としても人気が高い。この町の西にある2000メートルの高地は適度な気温と豊富な地下水、灌漑設備、良好な表土に恵まれ、オスマントルコ時代(Ottoman Era)にここでバラの栽培が始まった。それ以来、この町は「アラビアのバラ(Arabia's Rose)」と呼ばれてきた。
英語のアッター(Attar)は今日ではバラ油を指すが、その語源はアラビア語のイタール('Itr)で、香水(Perfume)またはエキス(Essence)を意味する。バラの花弁からの蒸留抽出行程は9世紀の哲学者アル・キンディ(Philosopher al-Kindi)が最初に記している。10世紀にはさらに複雑な装置の記録がアル・ラジ(al-Razi)によって残されている。バラ水の初期生産地のひとつがペルシャ南部(Southern Persia)であった。その後13世紀になるとバラ水はシリア(Syria)で広く生産されるようになった。油分の豊富な(Oil-bearing Rose Genus)ダマセナ種(Damascena)もその起源はダマスカス(Damascus)であると考えられる。だが、今日で言うバラ香油の生産が始まったのは2回式蒸留抽出技術(Double Distillation
Technique)が開発された16世紀末になってからであった。
http://www.saudiaramcoworld.com/issue/200408/the.roses.of.taif-.compilation..htm
花弁30枚のダマスクローズ(Damask Rose)が最初にターイフに伝えられた経緯ははっきりしていない。しかし、ターイフがメッカ(Makkah)に近いことがこのバラを栽培する動機になったことは間違いない。ターイフのバラがブルガリア(Bulgarian)で有名な品種「カザンリク(Kazanlik)」とほとんど同じであることからして、このバラは14世紀半ばからバルカン地域を支配し、16世紀からはヒジャーズを支配したオスマントルコ人がバルカン諸国(Balkans)から持ってきて植えたとも考えられる。ところが、カザンリク(トルコ語で「蒸留用の鍋に適している」という意味)はペルシャのシラーズ(Shiraz)とカシャーン(Kashan)周辺のバラ園で独自に栽培されており、このバラ園がシリアの農地にバラを供給していたのである。また、アル・ハダの栽培業者に伝わる伝説ではこのバラの発生地はインド(India)であるという。
今日、ターイフ産のバラ油は品質は高いものの、生産量ではトルコ(Turkey)、ブルガリア(Bulgaria)、ロシア(Russia)、中国(China)、インド(India)、モロッコ(Morocco)およびイラン(Iran)の大型輸出事業に劣る。しかし、市場が供給過剰になっているわけではない。バラ油の精製には今も昔も大きな労力がかかる上、その効力と値段は依然として非常に高い。バラ油は高価であるがゆえに誰にでも喜ばれる贈り物として大切にされている。
200年ほど前まではターイフのバラの花弁を集めた後、袋に入れて密封し、ラクダに載せて約65キロ離れた聖地メッカまで運ばれた。メッカではインド人の薬剤師Indian Pharmacists)が今日とそれほど変わらないプロセスでこのバラから香油を蒸留抽出していた。この職人達はある上等なバラ油の生産に熟達するようになった。それはバラの抽出物をサンダルウッド油(Sandalwood Oil)になじませ、花と木のさわやかな香りのするブレンドに仕上げるという方法である。なお、今日サウジアラビアでは珍しくなったこのブレンドがインドでは今でも売られているというのは面白い。
(注) バラの収穫期である4月になると、バラ農家は早起きし、揮発性の香油成分が太陽の熱で蒸発してしまわないうちに、開いたばかりのバラの花を摘む。
200年ほど前、蒸留職人たちはこの技術をターイフにもたらした。揮発性のバラ油は収穫した花弁からすぐに蒸発してしまう。そのため、バラ園に近いターイフで作業することにより、生産の能率が向上したのだった。蒸留工場ができてまもなく、ターイフ産のバラ油はイスラム世界のいたるところで絶賛を博するようになった。金銭的に余裕のある巡礼者はハッジの土産品としてこの有名な香水を一瓶(容量単位からトラー(tolah)と呼ばれる。)は買って帰るのだった。東方から陸路で旅する巡礼者の中にはバラ油を買おうとわざわざターイフを経由する者も多かった。ターイフ産のバラ油は今日でもメッカの聖職者のご用達で、グランドモスク(Grand Mosque)にあるカーバ神殿(Holy Ka'bah)の南西の角(イエメン側にあることからイエメンコーナー(Yemeni Corner)とも呼ばれる。)にはバラ油が使われている。
バラ油は瓶にしっかりと栓をしておけば長持ちし、永久保存も可能だが、ターイフのバラの盛りは実に、はかない。花が咲くのは4月だけで、毎日の収穫作業は夜明けに始まり、朝7時には終了する。だが、アル・ハダやアル・シャファでこの収穫時間に窓を開ければ、夜明けの山の静かな大気にみなぎる香りを満喫できる。見晴らしの良い場所では山の尾根に昇る太陽の光を受けて、ピンクの眺めが一面に広がる。
花摘みは朝が勝負だ。畑では新しい日の光に照らされながら、早起きした人々が籠を手に花を摘んでいる。中にはまだ寝間着姿の人もいる。人々は手があいていれば籠を持って作業にに加わる。この地域にほぼ2000軒あるバラ栽培の農家はこの時期、猫の手も借りたいほどの大忙しだ。ピンク色のバラの蕾が開くのは夜明けだけで、太陽が高く昇るにつれて香油成分は蒸発し、昼になっても摘まれない花の香油成分は夜明けの花の半分にまで下がってしまう。
収穫量が最高になる4月の第3週目頃には背丈ほどに成長した木が毎朝200個もの花を咲かせる。成熟した木(約15 - 20年)には肥料が大量に与えられ、毎年12月には慎重に刈り込まれる。こうなると1シーズンに3000以上のバラの花を咲かせるようになる。
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籠が朝露に濡れてバラの花でいっぱいになると、一行は近くの蒸留工場に向かう。アル・ハダにはガシュマリ家(al-Ghashmari Clan)所有の工場がある。香水と花に情熱を傾けるこの一族は、今でも、過去何世紀にもわたって行われてきた2回式の蒸留技術を用いて生産を行っている。
バラ油(Attar)とバラ水(Rose Water)は内側にスズメッキを施した銅製の120リットル蒸留釜(120 liter Tin-lined
Copper Boilers)を使って作る。現在、加熱はガスで行うが、昔は薪を使っていた。無臭無煙のラクダの糞(Camel Dung)の固まりを使うこともあった。この銅釜に水50リットルとおよそ10,000個のバラの花を入れ、6時間かけてグラグラと煮る。出た蒸気はランピキ(蒸留器)(Alembic)に溜まる。ランピキとはマッシュルーム型のヘルメットのようなもので、蒸留釜に密着し、上部から管が下に傾いてついている。蒸気はこの管を通って、ぬるま湯(tepid water)が入った亜鉛の冷却タンクに入る。タンクの中では蒸留液が凝縮して大きなガラスのカーボイ(大きなガラス製の酒入れ)(Carboy)に流れ込み、そこでバラ水とバラ油の分離が始まる。
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しかし、こうした第1回目の凝縮作業で出来る香油の量は少ない。これは揮発性油の大部分がまだバラ水(花嫁という意味の「アルス(al arus)」の名で知られている。)の中に拡散しているためである。このバラ水はコホベーション(Cohobation)と呼ばれる工程によって再蒸留する必要がある。コホベーションには2種類あり、まず、摘み立てのバラの束の上にバラ水(Arus)を流し、それを過熱しないように慎重に再蒸留する方法がある。新鮮なバラの上に流したバラ水を使った方が湯を使った場合よりも多量の揮発性油を溶解できるからだ。もう一方はそのまま再蒸留する方法で、これも非常に慎重に行う。どちらの方法を使っても、「アル・ティノ(al-thino)(二番絞り(Second Cut))と呼ばれるバラ水の凝縮液ができる。コホバーション(Cohobation)が完了して凝縮液が冷えると、バラ油の濃厚な香りの粒(Richly Perfumed Globules
of Attar Coalesce)が結合してバラ水の表面に上がってくる。なんども胸の躍る光景だ。最後に表面に上がった香りの粒を別の容器に注ぎ分ける。コホベーションという特別な努力と出費を通してこそ、最大のバラ油生産が可能になるのだ。
(注) 部屋いっぱいに広がる花からは蒸留作用を通じてごく少量の貴重なバラ油(Attar or Rose Oil)が抽出される。バラ香油は世界で売られている香水の原料として最も一般的である。
蒸留したてのバラ油は数日間放置して不純物やコロイド状物質(Colloidal Matter)を沈殿させ、残留水を分離させる。この後、精製したエキス(Essence)はスポイトで慎重に取り出して(syringed away)瓶(Vials)に保管する。各瓶の容量は1トラー(Tolah)(11.7グラム)で、市場での1トラー(each tolah)あたりの値段はシーズンやその土地の需要によって異なるが、通常は2000から3000サウジリアル(Saudi Riyals)(US$ 530 -
US$ 800)で売れる。
1トラーのバラ油を作るには気候条件によって変動はあるものの、10,000から15,000個の手摘みのバラを使うということを考えれば、この値段もそれほど法外ではない。昼と夜の温度差がはっきりしていること、相対湿度が50パーセント以上であること、風がないこと、晴天であることなどの条件がすべて誘因と成って朝露が付く。バラはこの朝霧によって豊富で上質の油(Ample, Highquality Oil)を蓄えることができる。ターイフではこのような条件が十分安定しているため、ターイフ産のバラ油は温かくて持ちが良く、非常に濃厚な独特の香りが生まれる。それはダマスクローズ(Damask Roses)そのものを思わせる芳香で、スパイスや時には蜂蜜のような香りも彩りを加えている。品質ではライバル産地のバラ油に勝とも劣らぬ評判を誇っている。
これとは対照的に、評判の高い南フランス産のローズエキス(Rose Essence)はアルコールを用いたプロセスにより香りが広がるようになっている。その香りはターイフ産のバラ油よりも安定し、バランスがとれているが、柔らかな色合いのアブソリュート(Absolute)(無水バラ油)は水で従来通り蒸留したバラ香油が持つあの際立ったスパイシーなトップノート(Spicy Topnote)に欠けている。
(注) 2回式蒸留抽出工程は頭部にランピキ(Alembic)が付いた銅製の蒸留器の中で始まる。蒸留液はランピキの吐水口を介して冷却タンクを通る。この技術は少なくとも1000年前に開発された。花を収穫したらすばやく蒸留器に入れる。
バラ水だが、これは単なる副産物ではない。それどころか、最初にバラから蒸留液を抽出したそもそもの理由はこのバラ水を得ることなのである。バラ水は現在人気が高く、比較的安価に出回っており、医療や料理、お祝いなどに用いられている。また中東地域全体にわたって広い人気を博し、どの家庭のキッチンにも欠かせないものとなった。だが、ターイフ産のバラ水だけはリヤドやサウジアラビアの東部地方でさえもほとんど見かけない。アルス(Arus)のバラ水は心臓と胃によいとの言い伝えがある。バラ水から最初に抽出する凝縮液はラマダン(Ramadan)の期間中、断食を終えた後の最初の食事の調理に使うため、特に需要が高い。また、ラマダン(Ramadan)明けのイードル・フィトル('Id al-Fitr)ではカスタード(Custards)、ゼリー(Jellies)、甘味などのデザートの香料として使われる。またバラ水はどこでも飲まれているようなお茶に上品さを演出する効果もある。今では健康によいノンカフェインの「ホワイトコーヒー」として嗜まれることも多い。さらに、バラ水は従来の化粧品の調合剤としてもつかわれている。たとえば、アラビア半島全域でアイライナーのようにして使われる黒コール(Black Kohl)(紛状の硫化アンチモン(Antimony Sulfide))を混ぜてアイライナー(Eyeliner)ようのペーストにするときにバラ水が使われる。バラ水は弱視や目の感染症に効くと言われる。
バラ水の携帯用霧吹き(伝統的なものは首がまっすぐで長く、下が球根のような形になっている。)はイスラム世界(Muslim World)では昔から広く祝典などで活躍してきた。たとえば、婚礼や祝宴の終わりは客の手や顔にバラ水をかける。外見的な美しさへの称賛と商業的な需要を背景に銀細工師などの職人たちは非常に美しい霧吹きを創り出すようになった。湾岸地域の美術館ではそんな美しい霧吹きを目にすることができる。また家庭においてはバラ水の貴重な霧吹きはもてなし(Hospitality)の象徴であり、社会的地位や裕福さの証でもある。
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バラ水は第1回目の蒸留工程でできる。新鮮なバラがない場合は、バラ水を使ってお茶に風味を加えても良い。
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カディ家の工場(al-Qadhi Factory)にある60台蒸留器の一部
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第1回目の蒸留液がカーボイ(Carboys)に流れ込む。バラ油はコホベーション(Cohobation)と呼ばれる再蒸留過程(Redistillation)を経て初めてバラ水から分離する。
ターイフのバラ産業ではアブ・ハダ(al-Hada)とアル・シャファ(al-Shafa)両地域の間に競争意識が生まれ、地元の目利きたち(Local Connoisseurs)が両地域のバラ油の比較を始めたらきりがないような状態である。アル・ハダのバラの農家はバラを個人で栽培・加工しているが、アル・シャファで摘まれたバラはカディ家(al-Qadhi Family)のターイフ工場(Taif Factory)までトラックで運ばれる。
カディ家の工場は最近まではターイフの古い市場(Old Suq)の中心部の裏通りが迷路(Maze of Alleyways)のように交錯しているところにあった。ここで一家は200年にわたって香水工場(Perfumery)を営み、工場自体は操業中のものとしてはサウジアラビア最古と言われていた。ところが、カディ家は1990年の収穫を最後に蒸留器(Stills)の運転をやめて、市場の周辺部(Periphery of Suq)にあるアル・サラマー地区(al-Salamah Distinct)に移転した。それからほぼ8年経った今もなお、この古い工場の篤い石壁には。「ターイフのエッセンス(Essence of Taif)」の芳香がみなぎっている。
カディ家はビジネス移転後、新しくつやのあるアルミ製の大樽(Shiny Aluminum Vats)を30個設置し、生産能力を2倍に増やした。現在使っている従来の銅製の樽と会わせるとアンビク(Anbiqs)(蒸留装置)は60台になった。しかし、ビジネスを指揮するハサン・アル・カディ(Hassan al-Qadhi)は新しい蒸留器(New Boilers)が従来の銅製蒸留器(最古のものは1816年に作られた)に比べて性能が劣ることを認めている。
それでも、この工場では条件がよければ毎シーズン3500万(35 millions)という膨大な数のアル・シャファ産ローズが蒸留器にかけられ、25キロ(25 kilograms)のバラ油(Attar)ができる。ターイフの香水業者はアル・ハダの生産量とあわせて年間約75キロという大量の純粋油を生産している。これはトルコ(Turkey)の生産量の24分の1にあたる。
言うまでもなく、この工場では加熱処理後に残る花の部分も生産される。つぶした花(Mash)の多くは畜産農家(Cattle Farmers)に売られ、農家はこれを牛の餌にする。牛はごちそうのお礼として、ほんのりバラの香りのする牛乳をだすのだから驚きだ。残った部分(Pulp Residue)は肥料(Fertilizer)や腐葉土(Organic Mulch)として使われる。
アル・ハダでは実業家が資金を出し合い、ステンレススチール製の現代的な水式蒸留設備(Hydrodistillation
Equipment)を世界一の香水生産地である南フランス(Southern Farnce)のグラース(Grasse)から輸入した。この最新式設備(State-of-Art)は何シーズンかにわたり、香りにむらなく、悪臭成分を取り除いたすばらしいバラ油(Superlative Attar)を産出してきた。ただ、その反面で従来の蒸留器に比べて生産量が減るというマイナス面もあった。アル・ハダに登場したこの新設備は過去からの出発を象徴している。ターイフの貴重なバラ水がこれまで以上に広く出回るようになるのも夢ではないかもしれない。伝統に息づく不朽の香りを誇るターイフの香油はこれからも時代を超えた深みのある香りを受け継いでいくことだろう。
http://www.saudiaramcoworld.com/issue/200408/the.roses.of.taif-.compilation..htm
(注)マイケル/R・ヘイワード(Michael R. Hayward): サウジアラビアで働く歯科医(Dental Surgeon)。香水には特別な関心を持っている。ダーラン(Dhaharn)在住。